パスキン展@汐留ミュージアム

「生誕120年エコール・ド・パリの貴公子 ジュール・パスキン展」

 パスキン展は16年ぶりという。いつものミュージアムの様相が違う。
 この入口から魅惑的!1920年パリや作風を思わせる壁や天井照明までこだわり、開幕後ずっと好評だというが納得できよう。マダムを魅了するパスキンだもの。
 会場ではパスキン展の生涯と旅路に合わせて4章仕立てになっている。パスキンの邸宅をイメージして構成したそうだ。

 Takさんと担当学芸員さんとの対談での解説から、会場構成も照明に至るまで素敵。
 まさに4章の空間は1920年のパリを彷彿される贅沢、行く価値あり。

 2月1日の日曜美術館アートシーンで「パスキン展」紹介される。

 子供向けガイドブックに「パスキンの旅するバッグ」とあり
中を広げると世界地図が現れる。まさに世界を旅した生涯であろう。
 ブルガリアの貴族に生まれたピンカス君。見事なアナグラム
(ジュール・パスキン)Jules PASCIN 本名はJ.PINCAS
 ブルガリアで生まれ、ブカレストルーマニア)、ウィーン(オースリア)で学ぶ。ミュンヘンで美術学校の通うが、その素描の実力が見出され、ドイツの風刺雑誌「シンプリティズム」の挿絵画家として高給で活躍する。
 しかし、自分の描きたいのは油絵、とパリに向かう。彼は気前も良く友人に恵まれていたので、パリに着いた時には大歓迎を受けたそう。Cafe Domeなど馴染みの場所だった。
 パリのモンパルナスに住み、やがてアメリカにわたる。
1920年にはアメリカ国籍を取得するが、やがてパリに戻る。
そこで運命の愛すべき人「シュリー」と出会うことに。その間、アメリカとを行き来はするが、パリでは超売れっ子画家。
 1929年に画廊と契約を結ぶがむしろ自由を束縛されたと感じ苦悩し、1930年アトリエで自死する。「さよなら シュリー」と残して。

 真珠のような淡いパステルの画面から何を感じるだろう。
パリの時代に愛されたパスキンが堪能した。麗しい女性に囲まれて、友人にも画廊にも顧客にも恵まれた人生。何の不足があろうか、という程恵まれた境遇の中にずっと抱いていた願望。真珠貝のごとく。