オルセー美術館展2010 ポスト印象派@国立新美術館

2010年5月26日-8月16日 
 オルセー美術館展2010のチカラの入れ具合が感じられる。

オルセー美術館の至宝―ポスト印象派 (ポストカードブック)

BRUTUS (ブルータス) 2010年 6/15号 [雑誌]
Pen (ペン) 2010年 6/1号 [雑誌]

 薄明かりの若草色から始まり、鮮やかな緑、空色、薄桃色とパステルカラーで章立てに色分けされた空間は天井を低く絵にフォーカスするように誘う。それぞれ10章の小さな曲を聴くように、作家はあるモチーフのように様々な小節に登場する。行きて戻りつつ様々な音楽を聴くような展覧会。同じ作家が章を超えて行き来しているのでお気に入りを探して、どの作品も独立して自由に楽しめる。
 ポスト印象派とは以前「後期印象派」とも訳されて誤解されているが、「印象派」の延長ではない。印象派の後の時代に生きた様々な画家の魅力を、リズミカルに紹介する展覧会。

(展覧会解説より)
 1880年代半ばのフランスでは、印象派の圧倒的な影響を受けた多くの才能が、さらに革新的な表現を探究し、多様な絵画芸術が花開きました。1910年、イギリスの批評家ロジャー・フライは、印象派とは一線を画す傾向を察知し、「マネとポスト印象派」と題した展覧会を組織します。ここに出展されたのが、セザンヌゴッホゴーギャン、スーラといった画家たちでした。
 以後、ポスト印象派は、確かな形態描写、堅固な構図、鮮やかな色彩、観念的なものへの志向など、印象派の関心の外にあった傾向を復権し、20世紀初頭の前衛美術の登場を促した動向と位置づけられてきました。ちなみに我が国では、「後期印象派」という呼称が長く使われてきました。しかしこの用語は、印象派の後半期を示すかのような誤解を招く恐れがあり、近年では「ポスト印象派」が定着しつつあります。
  しかし、ポスト印象派は、画家によって画風が大きく異なることから分かるように、何らかのグループでもなく、特定の手法や理論を掲げた運動でもありません。ポスト印象派に含まれる画家たちは、印象派への対抗という一面的な理解では捉えきれない、多様な個性を備えているのです。本展覧会でご紹介するように、その革新的な成果は、世紀末パリに花開いた芸術的、文化的諸相と複雑に絡み合っています。
 オルセー美術館から初来日する作品は約60点。本展出品作品の半分以上におよびます。

第1章 1886年 最後の印象派
 第1回印象派展が1874年に。モネやピサロといった若い画家たちが集まり、のちに印象派展と呼ばれる初めての展覧会。光や大気の影響を受けて刻々と表情を変える身近な光景に着目した彼らは、明るく自由な筆致で生き生きと表現した。
 最後の印象派展である第8回展は、1886年。この展覧会は、ポスト印象派世代の登場を告げる重要な作品群を含んでおり、一つの分岐点として重要な位置にある。印象派の一つの到達点を確認する。
モネ《ロンドン国会議事堂、霧の中に差す陽光》(5)

第2章 スーラと新印象主義
 第8回印象派展には、ピサロの推薦を受けたスーラとシニャックが出品し、大きな話題に。印象派の筆触分割に感化された二人は、独自の点描技法を考案。感覚を重視して描いた印象派とは対照的に、彼らは厳密な理論に基づいて色彩を配置。シニャックは1891年にスーラが夭逝した後、新印象主義の理論を広く世に普及させた。
スーラ《ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ<貧しき漁夫>のある風景》(12)
これ 第8章88で実物の絵があるので、是非行って戻って比較してみて。

第3章 セザンヌセザンヌ主義
 1874年の第1回印象派展、77年の第3回展に出品したセザンヌ、やがて自らの進むべき方向との違いに気づき、エクス=アン=プロヴァンスで孤独に制作に励むことに。
 セザンヌが求めたのは、「堅固で永続的な」芸術。ヴォリューム感、堅牢に組み立てられた画面構成、平面的な筆触を重ねて生まれる独創的な空間表現など、その斬新な成果は、キュビスム抽象絵画など、後世に多大な影響を及ぼす。ゴーギャン、ベルナール、ナビ派など、一部の若い画家たちに熱狂的に支持され、まずは彼らの間にその影響は広がっていった。
 セザンヌは一個一個の林檎の一番美しい部分を取り上げてテーブルクロスで包み込むような愛が感じられる。
 セザンヌが《ドラクロア礼賛》(37)し、ドニが《セザンヌ礼賛》をする。画家達がセザンヌの絵を囲んでいる中、トラ猫がいるのが可愛い)

第4章 トゥールーズ=ロートレック
 歓楽街モンマルトルに親しみ、賑々しい享楽の世界で逞しく生きる踊り子、娼婦、芸人など、辛辣に深い共感をもって描く。虚飾の背後に潜む、人間の真の姿を露わにする。厚紙に油彩という独特の作品。

第5章 ゴッホゴーギャン
ゴッホゴーギャンが共同生活を試み、悲劇的な破局を迎えた二人。今回はお互いを見つめあうように展示されている。ゴーギャンの《<黄色いキリスト>のある自画像》から自意識の高い彼。隣の《牛のいる風景》(57)と共に絵から何かが見えてくる。
《星降る夜》(55)はその夜空を描いたのがゴッホの魅力。絵の具が立ち上がる。

第6章 ポン=タヴェン派
 ブルターニュ ポン=タヴェンに滞在中 ゴーギャンが、若きベルナールと出会う。そして、意気投合した二人は、総合主義と呼ばれる理論を打ち立てる。若い画家たちをひきつけ、ゴーギャンを中心としたポン=タヴェン派と呼ばれる一派を形成する。
 平面的で装飾的な力強い画面構成と、豊かな精神性を宿した象徴主義的な志向は、ナビ派の登場へ。

第7章 ナビ派
 1888年秋、ゴーギャンの指導のもと、セリュジエが一枚の風景画を仕上げた。の小さな作品は、自然色の束縛から脱した大胆な色彩で描かれ、《護符(タリスマン)》(71)と呼ばれる。これをきっかけに、セリュジエ、ドニ、ボナール、ヴュイヤールらは、ナビ派を結成した。ヘブライ語で「預言者」を意味する「ナビ」、ナビ派象徴主義的な精神土壌に根ざした。
ドニは「絵画とは、ある一定の秩序のもとに集められた色彩で覆われた平面」、日本の浮世絵に深く影響され、平面的な装飾的な画面に色彩が豊かに活かす。

第8章 内面への眼差し
ナビ派のボナールやヴュイヤールらは、身近な室内の情景を好んだ。
題材は身近だが、象徴主義的な世界観が色濃く反映する。象徴主義は、目に見えない観念や思想を表現しようと試みた点で印象派と好対照。モローは、神話や聖書を主題にした神秘的な画面に、深い精神性を表現。ナビ派に特有の造形的効果と、閉じた空間内での私的な物語を連想させる場面設定。

ピエール・ピュヴィ・ド・シャヴァンヌ《貧しき漁夫》(42) 1880年の装飾画家であった。日本画家達は大きな影響を受けた。フレスコ技法にヒントを得た淡い色彩と単純化されたフォルムを特色とし、多くは独特の暗示性と寓意性を古代風の情景の中に閉じこめた、静謐な画面。この《貧しき漁夫》は、現在 国立西洋美術館の常設展でも見られる。舟の中で祈るように瞑想する漁夫と横たわる幼児。監修されたオルセー館長によると、これが一番のお気に入りで、溝口健二の映画「雨月物語」を思い出すと。琵琶湖畔の小舟の漁夫か。

第9章 アンリ・ルソー
シンプルで力強い丁寧に描き込まれ、みっしりした画面。独特の空間や色彩は まるで物語を語るようである。

第10章 装の勝利
ボナール ヴュイヤールによる大型の作品は、受注製作の室内装飾。絵画と装飾の新たな関係でしめる。
 監修の編曲がたっぷりの展覧会。ホワイトキューブパステルトーンで色分けし天井部分にグレーの布を掛けて、じっくり静謐な美術鑑賞の場を作り上げた舞台だ。装飾的な絵が第10章で拡がるように、絵の役割が少しずつ変化し、暮らしや舞台のための芸術に繋がることを示しているよう。音楽の後には、ショップの中味が非常に充実しているのも特色だろう。iPodケースなど魅力的な商品を作るのも日本ならでは。

オルセー美術展2010「ポスト印象派」オフィシャルBOOK ― オルセー印象派ノート