糸あやつりの万華鏡 結城座 375年の人形芝居展@INAX Gallery

糸あやつりの万華鏡 ― 結城座 375年の人形芝居 ― (INAX BOOKLET)

糸あやつりの万華鏡 ― 結城座 375年の人形芝居 ― (INAX BOOKLET)

結城座への招待状―江戸糸あやつり人形 10?100歳に贈る感動と発見の「えっ! 本」シリーズ

文楽結城座との違い。
文楽は三人体制。人形遣い一人と黒子
結城座は一人で操り人形を用い、生身の人間と一緒に競演する。基本的に文楽は人形だけで演じるがゆえに、人形でしかなし得ない技を披露する。
文楽が着物姿であり伝統的な頭であるのに対し、結城座イラストレーター、画家など作家と新たにキャラクターから作り出し、台本も新たに作る。
結城孫三郎氏は、昨年江戸川乱歩の白昼夢の舞台を作り上げた。常に新しく改革的。
文楽義太夫と三味線と人形の三者である。人形遣いは観客に人形を生き生きと動かす存在。結城座は人形が活躍する演劇となっていく、しかも人間と人形の関係が非常に近しい感じだ。
義太夫は、義太夫の演奏と語りを独りで演じる。文楽では弾きと語りは分かれている。
結城座人形遣いは、文楽のようにすべてが分業化されていることに比べると特殊性であるが…人形も公演ごとに自作する。『乱歩・白昼夢』では、宇野亜喜良がデザインを担当した。時代を通して作品を、その時代の空気を吸う作家が自作と原作をテレコにして作りだす。生きている人形芝居だ。それでこそ人形に息吹が吹き込まれるというものだ。等身大の黒色すみれが、人形と一緒に演奏しても、それが浅草オペラを思わせながらいつもの黒色すみれであっても、ゆるやかに合わさっている。
少しいい加減に、それでいてメッセージとかイメージのあり方を明確に押さえている結城孫三郎の意図は、彼らしい選択であると思う。結城座が文化物としてでなく現役の、地べたで演じ続ける、人形あやつり一座として生きていくことを選んでいる。
 観客や創作する作家、競演する俳優と共に刺激的な場となる。孫三郎はもっている。

文楽が日本伝統文化の代表のように上演されるが、結城座は常に時代に寄り添い、その時代の作家と共に創り出し、作り続けていくように思われる。