松井冬子下図展@成山画廊

2009年12月4日(金曜日)〜12月26日(土曜日)
13時から19時 (水、日、祭・休廊)

 奇形の水仙ナルキッソス」を描いた作品から近年の大作の下図。「世界にアクセスするための手段」という。
 「無痛の標本」は。現在森美術館に展示されている作品。下図ではあまり判別しないが、本図になると口が裂け群青と緑青の鮮やかな色彩の世界になる。少女の表情は生命力が溢れて希望を感じるのが意外なくらいだった。無痛の標本には二種類の下図があり、女体の背骨と胎児を描く。
狭い中には全て下絵はガラス額に入れられている。
カサブランカがまだ蕾だった。また香りで充満した頃見に行くのも良いかもしれない。 
 日本美術解剖学会(※)が立ち上がったそうだ。美術デッサンために人体の構造を学ぶ。松井は 布施英利教授について解剖を行い緻密で丁寧な解剖図 腑分け図をいくつか描いている。作品集に収録されている。
そもそも世界を正確に写し取るということから美術は始まり、やがてそのデッサンの力を元に自分の世界を再構築していくのだろうか

以下HPより引用
「美術家にとって素描とは世界にアクセスするための第一段階である。
形状、質感、色などを記憶して残すため、あるいは感覚を記憶に閉じ込めるための手段であり、すべてのペイントの起点になるものと言える。
作品が生まれるための初歩段階である「素描」には、上記のようなぶつ撮り的記憶に近い素描と、個人感覚の痕跡としての素描とに大きく分けられる。
前者は制作する際、伝統的な手法によって制限を受けていたり、訓練によるスキルと運動自体が魅力となる。例えば円山応挙河鍋暁斎川合玉堂など、日本画家は不断なる練習によって、水や煙などとらえ所のない対象を、陰影を使わない線描のみでの表現を可能にし、奥村土牛などはプリミティブなライブ感覚とは異なる完成された作品として素描を打ち出している。後者はそのような制限から離れた対置におり、作者の原始的な感覚に魅力の比重が置かれる。例として写真家ピエール・モリニエや彫刻家のオーギュスト・ロダンの素描にはペインターとは異なった、触感的で官能的な性質を見ることができるし、ジュリアン・サルメントはイメージを還元し、感情を喚起する事に成功している。また、その他にディノス&ジェイク・チャップマンなどは意図的に稚拙なテクニックを使って素描を無意識の媒介として利用している。
素描は、完成された作品よりも極めて魅惑的であるケースは少なくない。
なぜなら、描き手にとっては世界にアクセスする初歩段階としてのフレッシュな手段であるがゆえに、我々は四畳半の部屋に転がるテッィシュを見せられるような、リアリティを垣間みることができるからである。またそのシンプルさゆえ、モチーフやテクニック、コンセプトによって、描き手のパーソナルスペースに大きくシンクロできる可能性を秘そめていると言えるだろう。」 松井冬子

※ 日本美術解剖学会・設立記念大会
2010年1月9日(土)
場所:東京藝術大学美術学部・中央棟1階・第一講義室プログラム:
午前10時 ・若手研究者の発表
午後1時  ・講演「聖なる肉体」 …伊藤俊治東京藝術大学教授)
「国宝・阿修羅展・・光の演出による表情の見せ方」
…木下史青(東京国立博物館デザイン室長)
・シンポジウム「科学の骨、美術の骨」
遠藤秀紀東京大学教授)小田隆(成安造形大学講師)坂井建雄(順天堂大学教授)松井冬子(画家)司会:布施英利(東京藝術大学准教授)