THE ハプスブルク展関連講演会《中野京子》

 国立新美術館で開催中。
http://www.habsburgs.jp/
2009年9月25日(金)〜12月14日(月)
休館日: 毎週火曜日
ただし11月3日(火・祝)は開館、翌4日(水)休館
午前10時〜午後6時 金曜は午後8時まで
(入館は閉館の30分前まで)
巡回情報: 2010年1月6日(水)〜3月14日(日)京都国立博物館(京都・東山七条)

9月21日丸の内OAZO中野京子先生のトーク
スペインのハプスブルクを中心にお話。
別冊家庭画報 家庭画報特別編集 ~「THEハプスブルク展」 公式MOOK~ハプスブルク家「美の遺産」を旅する
マルガリータちゃんを中心に話が弾み、オーストリアのシシィ(エリザベータ)には到達しなかったので詳しくはこちらを参考に。「THE ハプスブルク」は絵だけでも楽しいが、政治がからむ歴史から見る美術 歴史背景を知っているともっと楽しめる。
こんな予習を。
名画で読み解く ハプスブルク家12の物語 (光文社新書 366)
ハプスブルク家 (図解雑学)

 10月24日土曜日午後2時からは、国立新美術館新館3階講堂にて中野京子先生の講演会あり。怖くて恐ろしい話になること間違いなし。
http://www.habsburgs.jp/2009/10/post-2e9a.html

以下はトークの概要
これはお勧めの映画17世紀フェリペ4世の時代
アラトリステ」DVDでも出ているので是非見てほしい。
http://www.alatriste.jp/

 スペイン人というと黒髪黒い瞳の俳優をキャストされるが、ハプスブルク家は「高貴な青い血」が特徴、白い肌と黄金の髪。
従兄弟、叔父姪、従兄弟、叔父姪 結婚という近親婚が続く異常な結婚。スペイン人とは結婚しなかったし、出来なかった。ハプスブルク家は絶対君主として神に近い存在でなければならなかった。
 フアナ皇女とマクシミリアン1世と一緒になり始まったハプスブルクの支配。美公カール5世の次、フェリペ2世の時代は「日の沈まぬ国」を謳歌した。侵略した国々が地球上を巡り、絶え間なく太陽に照らされているという意味。
 プラド美術館は他国からの略奪した作品はないという点で、世界に自慢できる。(ルーブル美術館 大英博物館の略奪の歴史)
フェリペ4世は無能王として有名。
奥さんのマリアーナ ブータたれた顔をしている。彼女にはハプスブルク家には珍しい美男子のフィアンセがいたのに、突然死んでしまった。どこで、フェリペ4世と一緒になることになった。フェリペ4世は叔父さんにあたり、15歳のマリアーナにとっては「おやじ」でしかない。しかもスペイン王国でのファッションは非常に遅れていて、流行遅れのドレスを身に着ていた。
 これは、若桑みどり先生も同意見。二人から生まれたのが、マルガリータちゃん。
ペラスケスは、スパイでもあり当時の外交官は自由に外国を行き来することが出来たので、スパイでもあった。
ラス・メニーナス》はプラド美術館門外不出の傑作。「宮廷の官女」という意味だが、管理目録によれば「王の家族」と記録されていた。この時代は、小人族は奴隷として宮廷に使えていた。王女や王子の身代わりに罰を受ける役目もあったそう。
プロスペロ王子は愛らしいが、ベラスケス自身も死の淵を感じていた頃だろう。鈴は魔除けと所在を示す場所だった。トーマス王子、カルロス2世とそれぞれ早死。ハプスブルク家は末期に血が濃すぎて、もう終わりとなる。スペインは、オーストリア継承戦争で断絶する。
しかし、ゴヤもラスケスも子供も愛らしく描く。
ゴヤ ブルボン王朝、ルーベンス メディチ家、ファン・ダイクはチャールズ1世に仕えた。
優れた画家と王の幸福な関係とは、デューラー&マシミリアン1世 テッツィアーノ&カール5世 フェリペ2世、ホルバイン&ヘンリー8世 ディビット&ナポレオン
『ドイツは耳の人』 『スペインは目の人』と言われるが、スペイン絵画はみるべきものがある。
 
 マルガリータの嫁いだ先は、レオポルド1世。政治的軍事的才能は欠けたが、彼は臣下を適所適材に配置し、部下を誉めた この点は素晴らしい。
 マルガリータとの結婚式は、ルイ14世に張り合い、2年間祝宴が続いた。オペラ、芝居、花火、音楽会など毎日が楽しく華やかであったろう。
 去年話題になった】「青いヴィッテルスバッハ(Der Blaue Wittelsbacher)」と呼ばれる35.56カラットのブルーダイヤモンドは、バイエルンの名門ヴィッテルスバッハ家から。これはマルガリータ婚礼の祝いにフェルペ4世が贈ったものだった。
http://www.afpbb.com/yfashion/3603631
しかし、マルガリータは22歳の若さで産褥死してしまう。王女は世継ぎを産むのが仕事だった。ベラスケスの力で永遠に絵として残っている。