ゴーギャン展関連特別文化講演会

中央区文化講座より
ゴーギャン展2009の公式サイト

2009年7月3日(金)−9月23日(水・祝)
午前10時−午後5時(金曜日・土曜日は午後8時まで開館)
*入館は閉館の30分前まで
もし≪かぐわしき大地≫大原美術館を見たいならば、8月30日までの期間限定。

東京国立近代美術館企画課長(中林和雄氏)
 
まずは東京国立近代美術館の宣伝から。「ビジュツカン」というと、みんな上野に行ってしまうが、竹橋をよろしく。
さて、ゴーギャンの章立てに分けて解説。
ボストン美術館で門外不出と言われていた「ゴーギャン展」目玉。この作品は名古屋から巡回しているが、その他の作品構成は異なるという。
 氏は、ゴーギャンの絵に対して、微妙な違和感を感じるという。
あれあれ?ぎくしゃくした ねじれた ずらし 妙
いつの時代も描かれたモチーフや画題に対する様々な解釈が生まれるが、どれも正解のようで何か違うような 永遠の謎に包まれる作品だという。絵の意味を読み解くのを楽しんでいるような、謎めいた手掛りを多く残している。

■第1章 野生の解放
ブルターニュ
印象派を乗り越える
・野蛮人としての自覚
キリスト教
1882年〜1891年(一部1894年完成の作品あり)作のタヒチに渡る以前の作品を展示している。
《オスニー村の入口》1982
 ピサロの住むオスニー村の風景、まさに印象派の影響を受けた作品。
モネを始とした印象派は光、色、空気を描き、堅牢な大聖堂さえももやもやと輪郭線のない空気の中に描いていた手法。だが、ゴーギャンは反対に個別の存在感、人間やモノの存在を強調し、あらゆるポーズやモチーフを風景に組み合わせ合成して構成した。そこにゴーギャン独自のスタイルが確立した。
≪愛の森の水車小屋の水浴≫ 1886年 ひろしま美術館
少年の裸体は何度もスケッチをして、あの風景に嵌め込んだという。
参考図版《説教のための幻影》1888 スコットランド
ここでは前面にブルターニュ地方の衣装をまとった女性達、そして神父が右に。画面真ん中に横切る樹木があり、向こうで天使と聖ヤコブの戦いが描かれる。
参考図版《二人のブルターニュ女》1889 ボストン美術館
これも絵の中心に樹木が横切り、赤い道と行きかう。その下部に女性二人、それも微妙な切り取られ方をしている。
≪洗濯する女たち、アルル≫ 1888年 ニューヨーク近代美術館モザイクにパターン化された水面、はっきりした輪郭をもつ人物の線、画面の大胆な切り取り方などは明らかに浮世絵からの影響を受けていると指摘。画面左下に2人の顔が強調され、その人物の上にサインが大胆にも描かれている。
参考図版で同じ時期同じ場所を描くゴッホの《ラ・ルーゼーヌ・デュ・ロワの洗濯女たち》は大胆で筆力のある力強いリズム感がある。
ゴッホの弟テオの計らいで、アルルでゴーギャンゴッホは共同生活を営む。たった三ヶ月とはいえお互いに非常に影響しあった濃密な時期。

≪海辺に立つブルターニュの少女たち≫ 1889年 国立西洋美術館 じn。
人物と風景と異なる視点を同じ画面に納めてしまう。足から考えると前後関係が謎めいている。
≪純潔の喪失≫ 1890-91年 クライスラー美術館
 水平線の強調とユニークなモチーフ。色々な説明が出来、絵の主張や意味を様々に読み解く試みがされている。しかし正解がみえない。行列も結婚式にも葬式にも見える。少女の身体と水平の雲。狐の眼差し。

≪異国のエヴァ≫ 水彩 1890/1894年 ポーラ美術館蔵
 ポーズがジャワ島ボロブドゥール遺跡の仏教レリーフの舞踊する彫像と同じ。ゴーギャンは資料としてその遺跡の写真を持っていたのという。
 南国ながら背景に北国産の糸杉を配する。糸杉といえばゴッホゴッホといえば糸杉という位。彼の仲にゴッホが宿る。
パリにいながらして、場は南国、ポーズは仏教遺跡から、顔は左に向きを変え母親から、糸杉はゴッホから、自在にモチーフを取り出し合成した絵。あらゆるものを混ぜ合わせ、繋ぎ合わせ、「一体何をしたいのか不可解」という氏。

■第2章 タヒチ
・第一次 タヒチ 1891-93
・熱帯アトリエ

≪かぐわしき大地≫ 1892年 大原美術館 〜8/30期間限定!
 キリスト教の原罪の場面が、タヒチ ヴァージョンで脚色されていく。エヴァ(イヴ)はタヒチの女性に。蛇は女性に向かって飛ぶ赤く飛ぶトカゲに。禁断の実リンゴは白い花へ置き換えられる。ゴーギャンの想像の世界を描く。

≪エ・ハレ・オエ・イ・ヒア(どこへ行くの?)≫1892年 シュツットガルト州立美術館 
タヒチの女性裸身像、黒い犬。裸体にからみついているように描かれている。

《小屋の前の犬》1894年 ポーラ美術館
タヒチ人のスケッチを繰り返していた。この時期はまだ溶け込めていないのか、黒い犬をゴーギャンだと解釈されることが多い。まわりとの関係を示すのか、その後、この黒犬は団欒の中に座っている絵に発展する。

■第3章 漂泊のさだめ
・第二次 タヒチ 1895-1901
・遺言としての絵画
・マルキース 1901-03
・馬/騎手
パリでも折り合わず、港町で水夫と喧嘩して足に大怪我。困窮と健康で苦しむ最期。

≪我々はどこから来たのか、我々は何者か我々はどこへ行くのか≫1897-98年
D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?
Where Do We Come From? What Are We? Where Are We Going?

様々なモチーフやスケッチを合成し新しい絵の中の存在を作り上げる。タイトルは手掛りなのか、さらに複雑な謎への扉なのか。すぐに解決させない。謎めいた作品。周到に作り込み、ひとつの意味にさせない。
モチーフごとの解釈もいろいろ出来る。謎解き。
「絵画は言葉に出来ないものを描くからこそ絵画なのだ」
大胆で傍若無人の性格なのに、筆致は非常に緻密で繊細のゴーギャンの作品。ちょっとビミョー。ゴーギャンなんてキライという人にも、問いを考える資格はある。
 私はこの展覧会に行くのはこれからだ。またその時に印象を描きたいと思う。

 今回は中央区企画の公開講座に聴講する機会を得たもの。中央区の美術講座は充実している。参考図版を使って、様々な視点を与えてくれた企画に感謝したい。

私は、死を前にしての全精力を傾け、ひどい悪条件に苦しみながら、情熱をしぼってこれを描いた。
そのうえ訂正の必要がないくらいヴィジョンがはっきりしていたので、早描きのあとは消え、絵に生命が漲ったのだ。これには、モデルだの、技術だの、規則だのと言ったものの匂いはない。 このようなものから、私は、いつも自分を解き放ってきた。ただし、時には不安を覚えながらね。
タヒチからの手紙」(岡谷公二 訳)
タヒチからの手紙 (1980年)

モームの「月と六ペンス」のモデルはゴーギャンか と質問が出ていた。 
月と六ペンス (光文社古典新訳文庫)

 関連番組NHK主催
ハイビジョン特集 楽園の絵は百年の時を超えてゴーギャンと日本
7月20日(月) 21:15−22:45 BS-Hi

◆夏季特集 楽園の絵がやってきた ゴーギャンと三人の日本人
8月1日(土) 17:00−17:48 総合

ETV特集 楽園への夢の果てに 池澤夏樹ゴーギャン、文明への問いかけ
9月6日(日)22:00−23:30 教育 

日曜美術館
8月30日(日) 8:00−10:00 教育
9月6日(日)20:00−21:00 教育 (再)

ラジオ深夜便浅井慎平インタビュー」
7月26日(日) 25:00−26:00 ラジオ第一