追憶の羅馬(ローマ)展―館蔵日本近代絵画の精華@大倉集古館

 今、蘇るローマ開催・日本美術展から期待していた展覧会。
 前期(1/2−2/8)、後期(2/1-3/15)と分かれるものの当時随一の作家達の作品が垣間見できる素晴らしい機会。
ちなみに大観《夜桜》と菊池契月《菊》のみ(3/3-15) 

 今回は一番興味深い展覧会開催までの経緯を公文書から手紙、書簡、積荷リスト、出納帳、
ローマ会場の青焼き図面に写真まであって、立体的に見えてきた。あの時代。
まさに昭和初期、世界大戦の最中の出来事である。
 
 昭和5年に日本美術が世界の海を渡り、彼の地で日本的空間を再現して展示した 
途方もなく壮大なプロジェクトである。
 この展覧会ではローマの会場を全て純和風。内装の工匠2名、表具師2名、生花師範1名を先発させて、
床の間など建材も全て日本から運び、列車一両を借り受けたという記録を見るにつけ スケールが大きい。
 揃いの印半纏に豆しぼりで仕事する姿は新聞記事にも。
大倉氏も開催に当たり、吉田茂会務大臣をはじめ多くの要職を名誉会長として据え、イタリア政府とのやりとり、
各作家選定など多岐にわたる場面で腕力を発揮した。
 作家がそれぞれ日本作家として選ばれた光栄に恐縮感謝する手紙もある。速水御舟もその一人。
彼は松岡映丘と共に渡欧しており、その時のスケッチが、山種美術館で紹介されていた。

 見ものは日本橋三越やその他会場で観た人ならば、今度は「表装」をしっかり見て欲しい。
当世随一の表装家たち(岡墨光堂など)の手による作品は、作家の絵を引き立てる名脇役として力を発揮している。
特に 小林古径《木莵図》金と墨をぼかした背景に浮かぶ鮮やかな瞳の木莵。それを引き立てる表装では一番見事だ。
竹内栖鳳「蹴合」軍鶏
前田青邨「洞窟の頼朝」屏風仕立ても見事。

しかしどう見ても顔がバタ臭い イタリア人を想定して描いたわけではないだろうが。鎧の色彩美が一層引き立つ絵。
横山大観の《瀟湘八景》も水墨画ではあるが、大層立派な表装である。
この時代、大倉喜七郎の思いを一身に受けて画家であり親善大使としてローマに赴いた感がある。
ムッソリーニと大倉男爵の交友と、フィアット社(かつて軍用機のメーカー)日本支店獲得の思惑、
それを思うと、評価される言葉「国粋主義」となる所以もこの展覧会もきっかけだったのではないかと推測する。
 大倉集古館に何故これほど日本画の名画が数多くあるのか これで了解した。
ちなみに速水御舟の「名樹散椿」(重要文化財:山種美術館蔵)はこのローマ展出品作である。


 大倉喜七郎
「互いに流れを分かち派を別れりと雖も 日本美術を通じて特色たる典雅優麗 
高貴清秀の筆致は他の追随を許さず」
 
 明治期には洋画第一で不遇を味わった日本画壇だがこうやって地道な画家の努力と、
偉大なるパトロンによって永遠に残るべき優品が多く描かれた。
惜しむらくは多くの作品は各コレクターに渡ったり、イタリアでも贈り物となったようで
リストでも所在不明となっていることだ。まだどこかに隠れているだけならいい、
発見する喜びが待っているに違いない。スミソニアン篤姫の駕篭のように。
 ここでは「ESPOSZIONE」になっていて Iが足りない。愛が足りない。
このミススペルのまま切り貼り記事も多くて、なんとか (i)愛を入れたいと願っている。
前期後期と分かれているが、この時代を感じるには最適な展覧会。
昭和初期の第一流の日本画、画面から湿気を帯びて霧が立ち込めそうな空気を 私は気に入っている。

参考文献:
草薙奈津子 「一九三○年羅馬開催日本美術展出品作品に関して」『近代画説』11(2002) 127−
斉藤ひさ子「ローマ開催日本美術展覧会と日伊交流」『イタリア図書』38