いきもの大集合 描かれた動物たち@山種美術館


 今回のテーマはいきもの。
それも良品揃いで、動物達の表情も豊か。まるで作者が動物に成り代わって佇むように、絵の中に存在する。
いつも見慣れている作品もテーマと文脈で印象が変化する。
みみずく尽くし、兎尽くし

 この美術館は展覧会ごとの図録を作らない代わりに、会場内でリーフレットを置いたり、展示パネルがしっかり用意している。今回は展覧会場内をなんの知識もなく、とにかく一巡してみた。そして、その解説の作品のエピソードや視点など、細やかな配慮にすっかり魅了される。
ここは静かの美術空間、掛け軸も至近距離で鑑賞できる。

竹内栖鳳《みゝづく》
七十齢ともなると、省略と余白の美の高みまで追求されていくのか。日本画のすうっと引く線で全てを描きだす。その一瞬の鋭い洞察力と表現力。
速水御舟《翠苔緑芝》
琳派のように、金地に緑が広がり、草木花々と兎と黒猫を配する。緑の深き中に青桐、躑躅枇杷の鮮やかな姿も。

◆山口華楊《生》
生まれたての子牛に出会った感動を、静謐な薄明の空間の中で静かに呼吸をし、確かに存在する生命。牛小屋の後ろでは、木漏れ日に若葉が揺れている穏やかな時。

◆山口華楊《木霊》
北野御土居の老樹欅の生命力溢れる根元を見つけて、そこに 木霊の象徴として、ミミズクを配したとか。樹も生き物そのものである。

◆上村松篁《白孔雀》
 以前から好きな絵だか実物はさすが。ハイビスカスのめしべの紅色が非常に印象的だ。

◆上村松篁《閑鷺》
 やはり見事な柳の枝ぶりに惚れこんで、ここの三羽の鷺を配した絵。

川端龍子黒潮
 群青の海の上を、鱗も翼も肢体も鮮やかなトビウオが勢いよく飛びぬけている。
以前テレビで喜々とした解説の「トビウオが飛ぶ姿を撮影した中で最高記録」の映像を見たことがある。その一瞬を捉えた姿が艶かしくも跳躍力にみなぎる作品。
 これと同じように生き生きしたトビウオを。(茨城県立近代美術館)見たことがある。また寺田知世さん描く水彩画でもやはり美しい鱗を持っていた。
 この解説で、龍子は当初洋画家志望だったが、大正2年渡米、ボストンで日本美術に触れて、日本画家に転向した経緯がパネルで説明されていた。この時代の日本は、洋画と日本画 それぞれがバランスよく生きるには大変な時期だったのか。
天然群青は高価が画材だったそうだが、大画面一杯に使っている。
北斎といいフェルメールといい、一流の画家は、画材にかける投資も惜しみない。彼らの生活は大変だったろうに。今現在の鑑賞者はその飽くなき追求心と惜しみない投資の恩恵を受けている。

竹内栖鳳《蜻蛉と蛙》
 画伯が腰痛も辞せず、じっと蛙を観察している姿を想像すると微笑ましい。大道あやさんも蛙嫌いだったが作品に描くためにずっと観察していた という話につけ、画家という性分は全く凄いものだと思うしかない。
 観察し写生したら、本当に研ぎ澄まされた線のみで最大限の動きを表現するのだから、画伯は素晴らしい。
 ふさふさの細やかな毛並みの絵が印象的だが、両生類や昆虫の姿さえも生き生きと素晴らしい。
「写生さえ十分にしてあれば無駄を棄てる事が出来る。余白も絵の一部」という言葉が印象的。

 絵の鑑賞もそれぞれの自由の愉しみ方が一番良い。好きな動物であれ、初めて見る動物であれ。
 実際に目の前で写生した姿から生命の本質を描くもの、老樹に大自然の姿を見出したもの、生き物の生命力に自分自身を仮託したもの。

 
 見慣れた作品もどの文脈だったら、印象的だろう。所蔵貧をテーマを決めて多面的に展開するこの小さな美術館も、いよいよ来年は広尾の地で新たな空間を得る。待ち遠しい。