絵画の冒険者 暁斎 kyosai 近代に架ける橋@京都国立博物館

 暁斎というと、やはり明治の風刺戯画の印象があったものの
成田山の展覧会を契機に 観るべき画家であると思いたち
「そうだ京都に行こう」大決心をした。

 「泣きたくなるほど、おもしろい」
実際に絵の前に立てば、こんな卓越した技量持つ絵描きがいたのかと、
驚愕の展覧会であった。

 度々展覧会で開催されているそうだが、すべて肉筆絵画。
海外での高い評価、そして影響力の大きさでは 北斎に次ぐ Great Artist
 出品作は、暁斎の初期から晩年まで、130余件。イギリス・オランダからの里帰り作品、初公開作品も。

 きちんと基礎的修練を重ねて自在に描く力を持って以来の自由闊達な題材を描く

 河鍋暁斎(1831〜89)は、かぞえ7歳で歌川国芳に弟子入りし浮世絵を学びますが、数年で狩野派に移り、11歳から19歳まで、基礎固めの時期には、徳川幕府の表絵師筆頭の駿河台狩野家で、徹底した絵画修業を積みます。
独立後、明治維新をはさむ激動期には、「狂斎」と名乗って江戸の地で風刺画などを描き人気を博しました。
  ところが明治3年、描いた風刺画が官憲にとがめられて逮捕・投獄され、笞打ち五十で放免という辛い目にあいます。以降、「狂」を「暁」の字に改め「暁斎」と号するようになったのでした。以降、文明開化の劇変にもけっして自らを見失うことなく、東洋画の伝統手法に工夫をくわえた魅力的な絵画を描きつづけました。
  暁斎は、イギリス人建築家コンドル、ドイツ人医師ベルツ、フランス人実業家ギメをはじめ、来日外国人たちとも交流しています。急激な西欧化に走る日本の風潮を危惧した彼らは、失われつつある江戸文化に魅せられ、暁斎のとりこになったのでした。
  暁斎のユニークな画風は、特に海外で関心を呼んできましたが、その全貌をつたえる大規模な展覧会は開かれたことがありませんでした。今年4月は、明治22年(1889)4月26日に暁斎が他界して120回忌にあたります。(京都国立博物館



 若くして、浮世絵師歌川国芳に入門、狩野派も習得して技法を習得した上で
常に画法を研鑚していた「画鬼」と言われるだけの技量をもった暁斎の展覧会聞きに勝る展覧会。
日本画は油絵と違って一発勝負の世界、細い線一本 強弱さえも本当に難しい画法だと思う。
それをまあ描くもの、大きさ問わず、描き切る力量 
書画会で実際目の前に出来た旦那衆は羨ましいほどである。
 実は明治の新聞で戯画でオドロオドロシイ絵を描くという印象があり、ちょっと苦手な部類ではあったが。
 天国極楽と地獄、神も仏も聖者、人間もそして骸骨 蛙も虫も動物も妖怪も幽霊も閻魔も 清濁、生死、老若男女、描こうと思うもの全てを描ききった画家のよう。

会期後半イヤホンガイドでの目玉商品での印象
毘沙門天
狩野派を引き継いだ画力が冴え冴えにまず出迎えて頂く作品。
五月幟
鯉を正面から捉えて、その動きを描く。誰もしなかったであろう方向。
既に奇想の才が発揮されているのか。
◆九相図
人は死に腐敗し他の生物に食われて朽ちて骨となり地面に帰る。
そういう経緯をじっと観察してこういう形で描き残す 画家は観察あるのみか。
◆波乗り観音図屏風
この軽やかなサーファーは観音様である。波間も波の遠きも近くも自由自在。
◆骸骨図
酔狂な画風 骸骨は大嫌いな私でも愛らしく人間らしく(当たり前だが)感じる。
そう人間の本質はこうであったのだ。美醜も老若も現世の悩みも吹っ飛ばす!
◆幽霊図
これが下絵と共に展示されており、その推敲ぶりが伺える。
足元に行灯があり その幽霊まるで観たかのごとく。
幽霊図はプライスコレクションでも怖ろしい形相を見た事があるが、
これもまた恨み辛みを重ねた表情をよくぞ表現していることか。
◆山姥図
美しき凛と立つ女性の手には金太郎。
熊と力比べをして竹をねじり曲げる怪力、
裾から覗く猿はその力にびっくり仰天の図。
力関係があるようで存在しないような平面と平静な母子。
まるで全てはこの女性=山姥に内在する力のごとく。
◆地獄極楽めぐり図(静嘉堂文庫美術館蔵)

 お奨めの作品と聞いていた。
まさに「地獄八景亡者戯」その様の面白いこと。
順番に展示しているが、この一室。
しかし進行方向に二面の展開。絵巻も絵本も右から順番に進行するので
右側は良いが、左側は進行方向に忠実に進む組と場面展開にあわせて進む組が
かちあって大混雑。静かにプレートで誘導する係員。なんだか良い方法はなかったかな。
後期に出品の、明治の文明ゆえの汽車での極楽行き。
この時代に活写暁斎が存在し、そして大パトロンが存在し
かわいらしい「たつちゃん」のお陰でこの絵が存在する。
本当に極楽に行って幸せでいると思う。
有難い事である。
◆地獄極楽図
昔からこういうのを描いて目の前に見せて
「悪いことすると地獄に墜ちるんだよ」と教わる場面があったが、
こういうものを現代の人間一人ひとりが肝に銘じて
公徳を知るべきだと思う。日本人であった心ゆえに。
新富座妖怪引幕
これが観たかった。暁斎の足跡が一番観たかった。
◆枯木寒鴉図
博覧会最高褒賞を得た作品だという。
明治でもお墨付きを得たのは当然であるが、
「風刺画なんか描かずにこういう絵を描けばいいのだ」
とやるもんだから怒らせる。もう二度と出品されなかったとか残念。
しかしこの作品を栄太楼が百円で購入。そしてアート市場沸騰。
◆眠龍図
こういう龍ははじめた見た。紫と金をそっと描きいれている。
◆美人観蛙戯図
蛙の視線が愛らしい。
本当に動物や虫を描き、そこに心情を入れ込むのが上手い。
◆書画会図
成田山での展覧会に行けなかったのでお会いできて幸い。
明治の頃の賑わいが感じられて、即興画の仕上げがまた素晴らしい。
◆吉原遊宴図
阿呆な旦那と財布で渋い顔する男。達磨屏風の顔が最高に良い、
江戸時代から達磨は遊郭を見続けている。
◆鳥獣戯図
サントリー美術館鳥獣戯画展でも紹介されたが、こちらも出品してほしかっった。
やはり技量なくして戯画は描けない。
◆牛若丸図
顔はもとより衣装の描き込みの丁寧な様に参りました。
◆閻魔・奪衣婆図
清濁、生死、老若男女 対になる存在を愛らしく可笑しく描き出す。
閻魔も奪衣婆もやはり若くて綺麗には弱いようで....
人間以上に 人間らしい愛らしさ。
地獄太夫と一休図
美人が本当に際立って美しい、地獄太夫の美しさが秀逸。
暁斎の美人は何があっても我関せずといった厳しくも凛とした潔さがある。
一休が骸骨を踊り狂うのも視界に入らず。
◆大和美人図屏風
 NHK日曜美術館で最後に絶賛していた屏風。
山口晃氏が「三次元の奴隷でない、二次元を生み出す」というコメントに
この大和美人の手元に注目した。
愛弟子ジョサイヤ=コンドルがこの作図の経過と共に学んだという。
背面の四季好作図屏風の丁寧な描きこみ、大和美人の香り立つ美しさ、
柱に添える手は解剖学的には正しくないが絵として美しい。
着物の柄が細やかな丁寧さは日本画ならでは。

 いやはやなんとも 日本には凄い画鬼がいたものだ。
見えないもの知らないものを描いて見せる
そして暁斎に この世とあの世 境界線がないことを教えてもらう。
泣きたくなるほど面白い。
確かに

気持ちよい程の五月晴れ、京都国立博物館の噴水を見つつ
はるばる来て良かったと娘と満足する。