生誕100年 東山魁夷展@東京国立近代美術館

その時の記憶が蘇る 記憶を呼び覚ます絵。

 1988年巡回展ポスターで魅了されてはるばる電車を乗り継いで
展覧会を観にいったことがある。
 今回の展覧会は代表作が多く日本で愛される作家の第一人者ゆ
あらゆる場で一度はお目にかかった事があるに違いない。

 作品には 人物は見当たらない。あるのは自然の姿そして 白馬。
 彼自身の投影かどうか しかし風景の中に必然的に存在する重要さは
絵を前にして感じることができる。
 例えば滝修行のように
何かに一心不乱に集中して突き詰めている状態、
身体感覚もなくしてあらゆる雑念騒音をそぎ落とした状態に 似ている。
雑音なく永遠に静謐な時間と空間が存在するかのように。
ただ身体中で視神経のみが機能して目前の風景をまるごと捉えるように。

 某Y新聞の読者特典の複製画も手軽で良いが、やはり
実際の大作を目前にする感激は全く異なる。同じように見える緑、紅葉、
桜の花、岩、波間 その細やかで鋭い観察力によって
描写は描き重ねて単純化平面化が進み、彼独自の作風に変容していく。



 特に「たにま」は詳細なスケッチから変容する様子が伺える。



 今回はぜひとも第二会場の襖絵をとくと鑑賞あれ。

いぐさの香りが芳しく青々とした畳の向こうに広がる海原
そこに激しく波寄せ引きするる海原が広がっているにも関わらず
静寂な空間が存在する。座って観ている気分にする その絶妙な配置。
 向こうに抜けると、今度は揚州薫風
風が通り抜ける その空気がそこに存在する。
こちらも襖の高さ幅、そしてその配置に合わせて、畳と板間を絶妙に配置して
今まさに揚州の地に立つがごとく感じられる。
 展覧会場とは思えぬ 設計配置ぶりには驚かされ、
その場に到達するための長くもある階段の大変さも忘れてしまうほど。
エレベーターのような容易な移動ではないほうが感激もひとしおか と。

 人気作家ゆえに込み合うであろうが、絵を前にしたら鑑賞者と絵の他には
誰もおらず雑音も聞こえず たた静かに対峙する静謐な空間と時間を堪能されたら
本当の意味での展覧会の醍醐味 と願う。

「行く秋」で この会場では初めて 金箔が施されている。
少し高い位置から見下ろすように、金色を敷き詰めた紅葉の絨毯に撒かれている。
その絶妙な位置関係は、ただならぬ自然の観察者であり、美しさを伝える伝道者。

道はまっすぐ続く 

「道」会田誠のパロディを思い出すが、東山画伯のために今回は省く。

数多くの人が彼の作品に憧憬し安らぐ心を得てることは、静かすぎる風景の重なりを
体験して、まるで自分自身の心も清める体験を出来たらと願う。

 あなたの好きな作品は?

私はこの作品がやはり心に沁みている 

ドイツや北欧の気質も思う石造り その向こうには天使の階段
まっすぐまっすぐ世を照らしているから