遊ぶ字展@岡本太郎記念館

〜2009年2月22日(日)

青山の閑静な場所が以前は「爆発通り」と呼ばれたとか。
ようこそ爆発空間へ!
ここ岡本太郎記念館は、1996年、八十四歳で亡くなるまで、岡本太郎のアトリエ兼住居だった。
1953年から五十年近くも彼が生活した空間である。
絵を描き、原稿を口述し、彫刻と格闘し、人と会い、
万国博の太陽の塔をはじめ巨大なモニュメントや壁画など、
あらゆる作品の構想を練り、制作した場所。彼のエネルギーが今も満ち満ちている。
更に言えば、ここは戦前は青山高樹町三番地。
岡本一平・かの子・太郎の一家が永く暮らし、一家でヨーロッパへ旅立ったのもこの地からだ。旧居は戦災で焼失した。
戦後、友人の坂倉準三の設計でアトリエを建てた。
ル・コルビュジェの愛弟子だった坂倉は太郎の求めに応じ、
ブロックを積んだ壁の上に凸レンズ形の屋根をのせてユニークな建物を作った。
当時話題をよんだ名建築だ。
岡本太郎の作品は一人の人間の枠を超えて多彩にひろがる。
そのすべてがここから閃き出た。膨大なデッサンやエスキース、彫刻、
また戦後文化のうねりを伝える資料の山。これから折々に整理して、お目にかけたい

岡本太郎記念館

 入り口を入ってすぐ右はアトリエ。
今の時期には渋谷駅コンコースに常設展示されている
話題の「明日への神話」の初期デッサンが展示されている。

明日の神話 岡本太郎の魂〈メッセージ〉

明日の神話 岡本太郎の魂〈メッセージ〉

 岡本太郎のデッサンは大きさに関係なくブレないとの話。
だからこのデッサンと渋谷駅の5m×30mの作品は全く同じ構図。

 アトリエには岡本氏の作品のほかに
メキシコの鮮やかなな「生命の樹」のオブジェが見える。
この製作過程で何度もメキシコに渡っていた時期に入手したものか。
数奇な運命を辿り、メキシコから里帰り、修復後 東京都現代美術館で展示
多くの収蔵先選定から落ち着いた現在。
 そういう縁すべてがドラマチックなのも岡本太郎ゆえか。

 美術館の岡本太郎像は、生前全身型取りをして製作したそうで、
季節ごとに着せ替えをするらしい。服装はシンプルだが強烈な個性のネクタイ。

 そもそも字と絵の表現は一体のものだった。
象形文字のいわれや変遷などをたどらなくとも、
無心に楽しんで字を書いていると自然に絵になってしまう。
遊ぶ字だ。そこに、生きる喜びがふくれあがってくる。まさに芸術。
岡本太郎

岡本太郎は数多くの書を遺しました。
それは字とも絵ともつかない独創的なもので、まさしく岡本芸術の真骨頂。
岡本芸術を代表するジャンルのひとつに位置づけられるべきものでしょう。
文字とつきあう太郎のスタンスは「遊ぶ」です。だから「遊ぶ字」。

 2階に上がると、遊び心満載の空間。
文字を絵として捉えた遊ぶ心が面白い。
晩年パーキンソン病を患うが、
その特徴である 右が小さくなる症状も文字を描くときは出なかったという。
文字が躍動する楽しさ、古代文字の意味を解読するように
岡本太郎は文字の意味を直感で受け止めて絵に変換するのだろうか。

岡本太郎作品の片鱗ではあるが、楽しめる場であった。

彼にとって文字は絵そのものだったのでは と美術館スタッフの方のお話。

遊ぶ字

ここの「a piece of cake」は有名な美味しさ。
屋外のこの喫茶を利用しても爆発の庭が鑑賞できる。
しかし中に入ると岡本太郎氏とツーショットできるのも価値ある機会。