ボストン美術館 浮世絵名品展@江戸東京博物館

ボストン美術館 浮世絵名品展@江戸東京博物館
〜11月30日(日)

 膨大なコレクションの優品ばかりで、申し分ない。
今回の浮世絵は色鮮やかで特に紫色が綺麗な発色だった。

 この膨大なコレクションの中から第一級の浮世絵を厳選した本展出品作品は、版画132点、肉筆5点、下絵画稿類12点、版本10点(会場により、展示替あり)で構成され、その大多数が日本初公開。
本展は、初期浮世絵版画の誕生から幕末までの展開を、主要流派と絵師の作品により通覧できる、まさに浮世絵史の教科書ともいえる構成。これは、ボストン美術館の各時代を網羅する膨大なコレクションだからこそ実現できたもので、浮世絵を通して江戸文化のダイナミズムを感じさせる。
 これまでほとんど公開されてこなかったボストン美術館秘蔵の浮世絵版画群は、いずれも保存状態良好な作品ばかり。とくに、これまで展示されたことがない、礒田湖龍斎の《雛形若菜の初模様》のシリーズは、遊女が身にまとう着物の美しい模様が、いま摺り上がったばかりと見紛うほどの鮮やかな色目。また、二代鳥居清倍の5点の漆絵も発売時の雰囲気を十分に伝える華麗な逸品。
門外不出との幻のコレクション スポルディング・コレクション、版本ということで菱川師宣『美人絵つくし』、勝川春章『三十六歌仙』、北尾政演(山東京伝)『吉原傾城新美人合自筆鏡』特別に出品。
 ボストン美術館は、質量ともに日本以外では世界一と言われる日本美術コレクションを持つ。120年前、明治時代に日本との交流と、日本美術を生み出した精神構造への関心が、彼ら独自のコレクション-後のボストン美術館のコレクション-を築いたのです。ボストン美術館のコレクションのなかでも浮世絵はとりわけ有名で、江戸初期から幕末・明治まで五万点もの版画が所蔵。世界的に知られる作品とともに、最近調査が行われ今回日本で初公開となる作品も多数出品。

------------------------絵師は勿論 彫り摺り見事
25 鈴木春信 (雨中美人)
26 無款(鈴木春信)(見立浦島)
44 礒田湖龍斎 雛形若菜初模様 
50 礒田湖龍斎 雛形若菜の初模様
73 喜多川歌麿 (蚊帳)
75 喜多川歌麿 (鷹狩り行列)
78 鳥文斎栄之 (三美人)
81 鳥橋斎栄里 (宮参り)
90 歌川国政  (市川鰕蔵の暫)
91 歌川国政  (三代目市川八百蔵
94 歌川国貞 星の霜当世風俗(蚊帳)
95 歌川国貞 見立邯鄲
107 歌川広重  三枚続 源頼光一代記
117 歌川広重  名所江戸百景 両国花火
121 歌川国芳 (あふみや紋彦)
129 歌川国芳 布引ノ瀧悪源太打難波
149 歌川国芳 夜桜を見る二美人
版本
150 菱川師宣伊勢物語頭書抄』
154 勝川春章 『三十六歌仙
155 北尾政演 『吉原傾城 新美人合自筆鏡』
156 喜多川歌麿 『画本虫撰』
158 喜多川歌麿 『潮干のつと』

 ボストン美術館は日本人が日本文化のよさを再認識する場でもあったのか。
浮世絵の本来の色彩や初刷り、下絵などきちんと現代にまで伝えてくれる。
日本人に与えた影響数知れず。例えば、川端龍子はここボストン美術館で絵巻「平治物語絵詞」を見て、日本画に転向したとか。
日本美術の良さはどうも海外で評価されて、やっと初めて国内でも評価されるという奇妙な歴史が続いている。・・・・次はマンガやアニメセルか貴重となる時代が来るかも。
 浮世絵が日本美術としてきちんと研究評価される良い時代になった。
浮世絵は絵師と彫師、摺師の三位一体 それぞれの力量が結集してこそ実現する芸術。絵師ばかりが歴史に名を残すが、私はあの蚊帳の網と蚊を彫り抜いた彫師と、ぼかしや雲母摺りを施した摺師に深く敬意を表したい。
そして、浮世絵は褪色しやすいことを日本人より深く理解し、デジタル技術の進歩まで封印しつづけた大量の浮世絵コレクションを寄贈したスポルディング兄弟。
これを高度デジタル画像撮影した上で、コレクションを始めどこからでも検索できるようにHPを作ったボストン美術館のコレクション管理にも。
「紫屋歌麿筆」の反骨精神が現代に伝わるのが素晴らしい。江戸の紫


その多数がプロジェクトによりボストン美術館のHPに掲載され探して見ることが出来る。
ボストン美術館 Museum of Fine Arts,Boston
幸運なことに現代はスポルディングコレクションツアーに参加できる。
Spaulding Collection
しかも拡大も出来るし、驚くべきはe-cardが送れる。

約6500枚の浮世絵を200万 画素の高精細デジタル画像化が行われ、微細な筆や色の使い方が隅々まで見られる様になった。
「ボストン美術館スポルディング・コレクション色材共同調査」下山進色材をコンピュータで分析して紹介している。

 儚く褪色しやすい紫をあえて使った歌麿 最後には,逮捕され座敷牢3日・手鎖50日の刑に処せられ衰弱しその2年後に亡くなったとのこと。
「喜多川舎 紫屋歌麿
NHKスペシャル|歌麿 紫の謎2007年3月4日
1921年、大富豪スポルディング兄弟の浮世絵コレクション6500枚をそっくり譲り受けたボストン美術館は、色が褪せてしまうという贈呈主の進言(=交わした契約書に記載された条件)を忠実に守り、一度も公開・展示を行なうことなく85年ものあいだこれらのコレクションを封印。その徹底管理のおかげで、コレクションのすべてが変色・褪色を免れ、江戸時代のあざやかな色彩をそのままにとどめている、
 このコレクションの本格的な調査が、浮世絵の世界的権威を結集した研究チームによって始まり、2007年春、その全貌が高精細デジタル画像で公開された。なかでも注目を集めているのが、完全な形で残されていた喜多川歌麿の382枚の浮世絵。
 日本の研究チームが着目したのが、女性の着物に使用「紫」。紫を多用しているのは382枚のうちの1/3以上にのぼる。
(長いあいだ外気にさらされてきた従来のコレクションでは、紫が完全に褪色して黄色もしくは灰色に変化してしまう)
配合
◆紅 + 露草(つゆくさ) = 紫 (薄い・透 明・軽い)ぼかしの表現に適する
◆紅 + 藍  = 紫 ( 濃い・暗い・重い )

 退色し易い「紅と露草」を混ぜ合わせて作られた「紫」。それにしても「歌麿はどうしてこんなに紫を使い、褪色しやすい配合を選んだのか?」。
 紫は気品のある高貴な色とされ、その後、幕府のお達しで「武家以外の紫の使用を禁ずる」とされたが、歌麿はあくまで「女性のやわらかさ・たおやかさ・色香」を表現するために「欠かせない色」として紫を使い続けたというのが研究チームの一致した見解で、褪色しやすい配合を選んだのも、絵に「女性らしい透明感をだすため」という同様の理由。
 女性の着物に鮮やかな紫色が惜しげもなく使われていたことだった。紫は退色が激しく、歌麿が紫色にこれほどこだわっていたことは、今回初めて明らかになった。
 歌麿が生きたのは、老中・松平定信による「寛政の改革」の時代。浮世絵に対する禁令が相次ぐ中、歌麿はそれに反発し、したたかに禁令の下をかいくぐって作品を発表する。「紫」にこめた歌麿のメッセージとは?厳しい時代を生き抜いたある浮世絵師の姿が浮かび上がる。

NHKスペシャル|よみがえる浮世絵の日本 〜封印が解かれた秘蔵コレクション〜
歌川国政(版元・上村与兵衛)〜鈴木春信〜安藤広重の新考証/2008年9月7日放送